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MySkip 創庫美術館と堀口大學

創庫美術館 MySkip12月号の連載コラムの入稿を昨日済ませた。

今回の稿では、かつて新潟にあった創庫美術館をテーマにした。ブログで 先月から何回も取り上げているので、それらを適当に1000字にまとめて‥などと鷹揚にかまえていたのだが、ブログと紙媒体とはやはり勝手が違い、その修正やらなんやらと案外と手間取ってしまった。

創庫美術館は20年前の1987年に誕生したわけだが、そこからさらに20年さかのぼると、奇しくも1967年の「新潟現代美術家集団GUN(ガン)」誕生にあたる。そのGUNは1964年開館の「長岡現代美術館」を契機に当時20代の若者たちが結成したもので、20年後にはその主要メンバーが創庫美術館でこぞって活動を展開させていく‥、というようにそれらが歴史の流れのなかで結びつく。そうした流れは“大地の芸術祭の成功”などといった「現在」にまでつながっており、そんな県内現代アート史的なことも加筆した。

長興寺
さて、当12月号は編集作業もすでに始まっている。

今回の企画特集ページも私の担当であったが、こちらは寄稿をお願いした地元研究家のかたが余裕をもった入稿をしてくれたため、レイアウトも早々終わりすでに校正も完了というスムーズぶり。自分の原稿もこうありたいものである。


その企画ページは、長岡ゆかりの詩人・堀口大學についての特集である。

堀口大學の墓 昔、堀口大學は長岡出身だとばかり思っていた。東京大学前の借家で生まれ2歳のときに長岡に来たわけなので正確にいうと違うが、大學自身、長岡への思いは相当深いものがあり、自ら「私は東京生まれの長岡出身だ」とまで言っていたから、あながち間違いとばかり言えないのかも。

お墓も長岡市内にある。写真はその長興寺から。